レッテルはりをやめよう

昔、「とある人」と、自分も好きな音楽家が一致したのでその話題になった時の話。

自分の大好きな曲の話で盛り上がろうとしました。

あの曲も好き、この曲も好き、どういうところが好きで云々、、、と何を話そうか気分が盛り上がっていたところ、、、

その人は、「いや、あの音楽家は○○音大の、○○科でしょ?だから好きなんだよ!あそこを出ているという事はつまり、本物だからね、、、そういう事だよ・・・」で会話が終了してしまった。

自分はしばらく言葉が出なかった・・・

自分はそんな視点で音楽を感じた事はなかった。

それって、純粋に音楽が好きじゃないんじゃない・・・?

えっ、肩書きが重要なの・・・?

その衝撃は今でも忘れません。



自分はその音楽家は、たまたまそんな学歴だというのを後で知っただけであって、純粋に音楽で感動したから好きになっただけなのですが、そういう感じ方をする人が世の中にいるんだとはじめて知った瞬間でした。


こんな人意外とまわりにいませんか?


年齢は何歳だから、、、
どこどこ出身だから、、、
血液型は○○型だから、、、
課長だから、、、
新人だから、、、
中間管理職だから、、、
社員じゃないから、、、
技術者だから、、、
営業さんだから、、、
○○大学の○○科を出てるから、、、
○○に所属しているから、、、


レッテルはりや、自分勝手な期待(妄想)をやめよう!
後で必ず「裏切られた!」と嘆くことにもなる。また、嫉妬心も邪魔をする。その人の「心」がそう感じただけであって、実際は何も起こってはいない。


人間は、ひとそれぞれ全く同じものをみても、「美しい」と感じる事も、「醜い」と感じる事も、自分自身で決める事が出来る。「裏切り者!」と言う事も、「これからは別の道でお互いがんばろう!」と言う事も出来る。

何をみているか・・・

これは、瞬間瞬間何かを「創造」しているということでもあり、その人の人生(生き方)を表している。


すべてはその時の心の状態、「心の在り方」がただそう決めているだけ・・・

すべてのものを美しいと思う事も、また、醜いと思う事も自分自身が勝手にそう決めつけているだけ・・・

現象はただ起こっただけに過ぎません・・・


レッテルをすべて取り払って「目の前にあるもの」や、「音楽」を純粋に感じることが出来たとき、真実の姿が見えてくると思うし、すべての「技術」の極意でもあるとも思います。


コメント

  1. スタインウェイ会はレッテルではないのですか?

    返信削除
  2. 匿名さん

    コメントありがとうございます

    そうですね。。。
    ○○の技術は●●会だから○○○だ!
    ○○は●●会に入っているから○○○だ!
    という決めつけた考え方や発言になりますとレッテル(はり)になると思います。

    返信削除
  3. あおみどり2010年2月6日 9:09

    ども(^。^)こんにちは。
    いつもながら、ピアノの中、ジロジロ写真見てしまいました。ピアノの中を見るの楽しいですね~。車でいうところの、バンパーの中見ているような面白さ!

    こういった類の音楽話、わかりますっ(><)
    ただ聴いて、いいなぁ~好きだな~。それだけの話ですよね。

    私も嵐のファンになって車でよく聴いてるんですが、弟に冗談だけどちょっと小馬鹿にされてしまいました。

    だって好きなんだもん。楽しいんだもん。感動したんだもん。それ以外の何物でもないのですね。

    クラシックでも同じです。無名でもアマでも感動したら、そのピアニストさんのファンになっちゃいます。

    返信削除
  4. あおみどりさん

    おかえりなさい〜〜!
    コメントありがとうございます。。。

    自分の場合、音楽もそうですが、食べ物なんかもすべて、結局のところは聴いたり食べたりして魂が揺さぶられるかどうかが判断基準になってる感じです。

    ただ聴いて(食べて)、いいなぁ~好きだな~、、、そして感動してファンになるという感じですよね。

    たしかにジャニーズ系は「ジャニーズ」だというだけで(特に男性から)レッテル貼られやすいでしょうね(笑)昔、キンキキッズは最初ちょっと小馬鹿にしてましたが、聴かされているうちに好きになっていました(笑)作曲家や、アレンジなんかもバラエティーにとんでるし、おいしいメロディーも多いしで、絶対悪いわけはないんですよ!

    返信削除

コメントを投稿