ヤマハU1H

このピアノは去年は調律して、ひとつの達成感があった思い入れのあるピアノです。去年の9月、調律が終わったとき20年間かけてめざしてきた調律の技術が、ひとつの目標地点に到達した事を実感したのを覚えています。アップライトピアノの調律の完成形のひとつに、その日到達したと感じました。ちなみにグランドピアノがその領域に到達したのが去年の8月7日。(その後、12月に意外な形で、次の新しい技術的なステージに足を踏み入れることになるのですが、、、)

去年は、夕方家に帰ると電話があり、「すごく奇麗な調律ありがとうございました。これまでに感じた事がないほど奇麗な響きで感動しました。どうもありがとうございます。どうしても伝えたかったので、、、」と飛び上がるほど嬉しいメッセージをいただきました。でも、当の本人は意外と冷静で「やった!分ってもらえたよ〜。うん、でもまあ、当然と言えば当然なのかな」なんて偉そうに思っていたりもしましたが、1年経った今日、お伺いして弾いたとき、その響きに神がかり的な何かを感じました。

「この調律に、今日自分は勝てるのか?」1年経ってますので、狂ってはいますが、自分で言うのもなんですが、それほどに素晴らしい響きでした。年に何回かはこのような手応えを感じる事があります。でも、去年と同じ響きを今創ってはいない、全く新しい響きです。去年使った道具もない。どうする?

去年の自分の亡霊に取り憑かれ、去年の響きを参考にして今の自分で対応しましたが、去年とは全然違う結果になりました。去年をあるやり方の最終バージョンだとすると、今年は新しいあるやり方の初期バージョンです。どっちが優れているかという問題ではなく、スタイルが違うのです。ものすごい勢いでただいまバージョン更新中!!でもあります。

かなり、究極的な部分での違いなのですが、最終的にはピアノに生命(魂)を注入する事が出来るかどうかが大きな鍵のような気がしました。確かに去年のその日はそれが出来た。それは演奏者(ピアニスト)にも、コンサートなら聴衆もに必ず伝わる。でも、それが毎年(毎回)同じ音に出来るとは限らない。でも来年、また本気で勝負出来る自信はあります。

究極的なこの感覚はピアノ(楽器)の演奏にも、とても似ていると感じます。求めても求めても、到達出来ない。求めているものはいつもその場所から逃げていく、、、やっと捕まえたと思ったらスルリと逃げられ、今度は違う所からまた新たな問題が出てくる。うん、調律とは、人生そのものではないか?

楽しい!!!

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