休日の過ごし方

今日は休日。でも〜〜〜自宅のピアノを調律一部ではなくて全部の鍵盤実施してしまいました。(これお客様の所では当たり前の事なのですが)最近、いろんな実験でいろんな道具を使って、いろんなやり方で、ちまちまと実施していたもんだから、自分の調律なのに様々なクセがついてて妙な狂い方をしてきて、もう限界〜〜。

クセを完全にとりました。いろんな道具とやり方で実験して、得たものは、軽ければ良いというのでもない、短い方が良いというのでもない、その逆もまたしかり。剛性や材質もそう。やり方とモノに応じた適正なものを使う必要があるという事でした。

あたりまえのことなんですけど・・・

でないと、いくら音が素晴らしくなったと感じても、耐久性(調律の持ち)や立体感、音抜けの問題や、深みのない飽きやすい音色、響きになったりするんです。

やり方が合ってるなら、人気のあるものや定番ものはやはり素晴らしいと思います。コピーはあくまでもコピー。本物を超えるためには、強烈なオリジナリティー(間違っていない方向性の)が必要なんだと思いました。「好み」と言ってしまえばそれまでなんですが・・・

調律もオーディオと同じ要素があります。一般的に若い頃はドンシャリ系の派手な音が好みですが、年取ってくると味とか深みとか奥行きとか艶、そんな所が気になってくる。派手な音は疲れるようにもなる。若い頃には聞いていない音がたくさん聞こえてくるし、好みも変わるんですね。20,30,40代でも確かに変わりました。そして50,60代になったらまた変わるんでしょう。そしてだんだん両端(低音と高音)が聞こえにくくなっていく・・・(オーマイガッ)

調律師の好みと演奏者の好みもまったく違う場合もあります。調律していくら気持ちがいい素晴らしいサウンドだと本人が思っても演奏者がNGだったらアウト!なのです。でも、聴く人はまた全然違ったりするから音楽は面白い!

ん、結局きょう休んでないぞ〜〜〜^^;

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